すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#10#10「っポイ!」×ルピシア カシュカシュ早いもので前回#9を書いてから約1年経っていました。えっ、もうそんなに経つの?とびっくりしています。歳を重ねるたび、どんどん1年があっという間になりますね。子供の頃は1年間って永遠のように長かったのになぁ。子供の頃の1年間が長く感じられるのは、毎日が新鮮で、初めてのことやドキドキすること、ワクワクすることをたくさん経験するからなんだそうです。大人になるにつれて、新しい経験をする機会は減っていくので、同じ1年間でも短く感じてしまうのだとか。そういう心理的現象を『ジャネーの法則』というらしいです。今回ご紹介する作品、まさにそんな『ジャネーの法則』的な時間の流れ方をしているんです。中学3年生というたった1年間の時の流れを、コミックスにして30巻、連載期間(途中休載期間もありましたが) 実に19年掛けてじっくり描かれた、やまざき貴子先生の代表作・「っポイ!」。ずっと長い間、連載が終わった今現在も、事あるごとにわたしを勇気づけ元気づけてくれる、サプリメントのような作品です。見た目は華奢っぽく女の子っぽい、でも中身はとても元気で熱くアクティブな中3男子の主人公・平(本名は「タイラ」、通称「へー」)と、そのお隣に住む同い年でクラスメイトでもある幼馴染・万里(バンリ)を中心に、その友達や家族など周辺に巻き起こる出来事が、それはもうびっくりするくらいこと細かに描かれています。中学3年生らしく友情や恋、部活に受験、学校行事のエピソードはもちろん、いじめや不登校、虐待、自殺未遂など、けっこうハードでヘヴィな話題も出てくるのですが、それらに向き合う平の姿が真っ直ぐで一途で一生懸命で。平と万里、そして大勢出てくる登場人物のみんなに元気と勇気、人との繋がりの温かさ、逆境に負けず前に進む力など、人間関係のいろんな大切なことを教えてもらいました。毎日毎日、些細なことから大きな事件まで、いろいろな新しいこと、ドキドキすること、ワクワクすること、時にはハラハラすることを平たちは体験します。読者にとってもそれは同じ感覚。ひとつひとつのエピソードのディティールはもはや芸術的で、小さな小さなコマ、手書きの台詞すら忘れた頃にキーワードになって伏線回収されたりするので、見逃せません。何度も何度も読み返して、だいぶ経ってからあぁそういうことか!!!と気づくことも。そんな感じなので、1年間を描くのに30巻、19年も掛かっても無理はない…?まさに『ジャネーの法則』、いろんなことがありすぎて、長い長い、長すぎる1年間。平たちの中学3年生の日々は、それこそ19年分の長さに相当するほどの、とても充実した濃密な時間だったんですね。「っポイ!」を読むと、いつもわたし自身も中学3年生の気持ちに戻ってしまいます。読みはじめた頃、もう既に中学を卒業していて、ちょうど平の兄・和(カズ)とほぼ同い年だったんですけどね。ちなみに最終巻を読み終えた頃には平の母親・昭(アキ)ちゃんと同世代になってしまっていました。中学3年生の1年間。子供っぽいけど子供じゃない、大人っぽいけど大人じゃない、思春期真っ只中の、多感な少年少女時代。わたしにとっても、その1年間はとても長く感じられた期間でした。平たちほどいろんな出来事があったわけではないですが、毎日のたわいもない日常がもう楽しくて楽しくて。小学生から大学生までの学生時代の中で、間違いなく最も長く、充実していました。これもまた『ジャネーの法則』な1年間。何故そんなに中3の1年間が楽しかったのか。それはその前の年、中学2年生の1年間があまりにも暗かったから。中2の4月に大阪から岐阜に転校してきて、なかなか馴染むことができず、1年間ほとんど友達がいなかったのです。中3に進級する時にクラス替えがあって、そこでやっと気の置けない友達ができました。くだらないことでわちゃわちゃ笑いあったり、好きな漫画や小説の貸し借りをしたり、放課後お互いの家に遊びにいったり。クラスで友達ができて明るくなれたからか、部活の吹奏楽部でも友達ができ、クラス以外で過ごす時間もどんどん充実していきます。中2のわたしからはとうてい想像できないほど、毎日が輝いていて、学校に行くのが待ち遠しいくらいでした。中3の思い出で最も印象深いのは、クラスの友達の影響で小説を書き始めたこと。これが今のわたしの「文章を書き始めたら止まらない」原点です。宿題や受験勉強そっちのけで書いては回し読み、感想を書き合い、続きを相談し合う…わたしの人生の中で最もクリエィティブで刺激的な日々でした。「文章を書く」こと以外にも、今のわたしを形成する多くの要素が、中3の1年間に集中しています。例えばすずまきといえば「紅茶」ですよね。まだこの頃は紅茶を実際に飲んでいたわけではないのですが、当時読んでいた漫画や小説に「アールグレイ」や「オレンジペコ」など紅茶の銘柄が登場していて、その名前に強く惹きつけられ、いつか飲んでみたいなぁ…と夢を膨らませていました。あとは「音楽」。吹奏楽部が楽し過ぎて、クラシックに興味を持ち、聴きはじめます。強烈にピアノを習いたい!と思いはじめたのもこの頃です(実際に習いはじめるのは高校生になってからでしたが)。また、ちょうどその頃世の中はバンドブームだったりしたので、ジャパニーズロックをはじめ、いろいろなジャンルの音楽を聴きました。「本」や「漫画」は言うに及ばず…友達との貸し借りで、いろんな作品に出会いました。他にも考え方とか好みとか、今のわたしに繋がるものとの出会いがたくさんあった時期でした。今回の作品「っポイ!」を読みながら飲みたいなぁと思った紅茶は、ルピシアのカシュカシュという紅茶。「カシュカシュ」とはフランス語で「かくれんぼ」のことだそうです。茶葉を見ると、リーフの中にオレンジフラワーやピンクペッパー、金平糖、アラザンが隠れていて、とてもポップで賑やか!まるで「っポイ!」の個性豊かな登場人物のよう。淹れてみると、香りにもフルーツなどいろんな香りが隠れていて、「かくれんぼ」の名前がつけられているのも納得です。カシュカシュにいろんなフルーツの香りや金平糖などがかくれんぼしているのと同じように、中3の平たちの毎日にもいろんな経験や感情が隠れています。漫画の構成もかくれんぼのように、コマの隅々にまで次の展開へのヒントが散りばめられています。そして中3のわたしの毎日にも、今のわたしに繋がるエッセンスがたくさん隠れていました。隠されているものをひとつひとつ丁寧に見つけ出し、真摯に受け止めていくと、その時間は濃密になります。そんな濃密な瞬間瞬間を積み重ねた1年間は、『ジャネーの法則』が示すように、長く長く感じられるのも不思議ではありません。今現在、大人になったわたしたちの1年間はどうでしょう?毎日毎日惰性のような繰り返しの日々…そんなふうに感じていたら、きっと1年なんてあっという間に過ぎてしまう。それは歳を重ねたから仕方のないこと?もう中3のあの頃のように、ワクワクすることもドキドキすることもなくなってしまった???本当に、そうかな?目を閉じて、一度真っ新な自分に戻ってみる。毎日が新鮮で楽しかった中3のわたしに、戻ってみる。目を開いて、さぁ、カシュカシュを飲んでみて。どんな香りが、どんな味が、どんな感覚が隠れている?今だからこそ、大人になったわたしだからこそ、見つけられる新鮮さがあるのではないかと思います。それをあの頃みたいにひとつひとつ純粋に楽しんでいけば、きっと充実した長い1年間を過ごすことができるのではないでしょうか?中3の時に見つけたワクワクが今現在のわたしを作る要素となったように、今わたしが見つけた何かが、未来のわたしを輝かせるものになるはずです。今回でこの連載「本と、紅茶と、あの頃と。」は最終回です。合計10回ものお話を書かせていただきましたが、毎回この素敵な「はちみつバード」という場から浮いていないか、世界観を壊していないか、ドキドキしていました。その一方で次は何の作品で書こうか、どんな過去を暴露しようか(?)、ワクワクしていたのも事実です。このドキドキワクワクは、間違いなく未来のわたしにたくさんのギフトを残してくれていると思います。こんなお洒落で刺激的なWEBマガジンという場を提供してくださった編集長の夏色インコさま、普段の生活で接することのないほどスタイリッシュで素敵なほかのライターのみなさま、暖かいご声援をくださった読者のみなさま、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。この連載は終わりますが、これからも日々の些細な出来事をひとつひとつ丁寧に味わって、隠されたエッセンスを見つけ出していきたいです。きっと「はちみつバード」なみなさまは、日常的にそんな暮らしを楽しんでいる方々ばかりだと思います。1年を長く長く感じるほどに、濃密で充実した毎日を重ねていきましょう♪…そこに本と紅茶があれば、もう最高です!「っポイ!」やまざき貴子 著白泉社 花とゆめCOMICS(1991〜2010)text & photo2021.11.30 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#9#9「P.A. プライベート アクトレス」×ドライフルーツティーみなさまは演技の経験はありますか?子供の頃に学芸会や文化祭で劇をしたとか、学生の頃演劇部だったとか、そういう方もいらっしゃるかと思います。わたしは中学1年の時に文化祭で初めて舞台に立って役を演じました。…といっても役は「ムカデの足C」で、台詞は「そうだそうだ!」だけでしたが。演劇の記憶はそのくらいしかありません。でもなんとなく演技や演劇にはずっと興味があったように思います。子供の頃からごっこ遊びは大好きでしたし、漫画や小説のストーリーを考えるのが大好きな空想(妄想?)少女でしたから。通っていた中学・高校に演劇部があったら、ひょっとしたら入っていたかもしれません。この漫画「P.A. プライベート アクトレス」(以下「P.A.」)の主人公・志緒は高校生ながら天才的な演技の才能の持ち主。ですが訳あって表舞台(芸能界)には出れず、アルバイトでP.A.をしています。P.A.とは、現実世界、日常生活で依頼されたある特定の人物を演じる仕事。志緒はその天才的な演技で、生き別れた娘、婚約者、亡くなった娘の生まれ変わり、はたまた霊媒師などなど、さまざまな役を完璧にこなします。そこで遭遇するサスペンスあり、ミステリーあり、オカルトあり、ロマンスありのドラマティックな展開。怯むことなくスマートに乗り越えてゆく志緒の姿は、潔く、毅然としていて、気高く、それでいてしなやかで美しい。学生の頃のわたしはこういうカッコよくて魅力的な女の子に憧れて、どうにか自分もそんな人に近づけないものかと奮闘(?)しておりました。志緒は仕事として日常生活で演技をしていますが、誰しも多かれ少なかれ、何かしらの役を演じているのではないでしょうか?例えば貞淑な妻とか、肝っ玉母さんとか、頼りになる旦那様とか、優秀な社員とか、優しい彼氏彼女とか、あえて嫌われ役の厳しい上司とか…。素の自分自身ではなく、どこかちょっと背伸びをしたり、他人の目を意識したり。いつ何時もありのままの自分です!…なんて人の方が、少数派なような気がします。わたしも小さい頃から常に「誰かの望むわたし」を演じてきました。親の前では「手のかからない子」、先生の前では「真面目で優等生な良い子」、友達の前では「しっかり者でちょっと毒舌キャラ」などなど…。特に大阪から転校して岐阜に来てからは、いじめられないようにと大阪弁を封印したので、標準語(岐阜訛りの)を話す自分も、自分にとっては演技みたいなものでした。そうしていろいろ演じて生活していると、本当のわたしはこんなんじゃないのに、本当のわたしを知っている人は誰一人いない、などと思い始めます。また新たな「普段明るいけど実は孤高なわたし」というキャラができあがるわけです。そんな頃…大学生の頃だったでしょうか、この漫画「P.A.」に出会ったのは。前述のとおり志緒のカッコよさに憧れて、こんな女の子になりたいと無意識ですが演技に磨きをかけます。「クールでシャープな大人の女性」を目指していたのは、おそらく志緒の影響です。あと衝撃的で痺れたのは志緒が恋人・知臣のことを言った台詞でした。「こいつにだけは、あたしはあたしでいられる」いろんな役を演じる志緒にとって、知臣だけが素の自分を見せれる唯一の存在…それが本当に素敵で羨ましくて。わたしも次に恋人ができたら、その人にだけは本当の自分を見てもらおう、と心に決めました。大学を卒業した夏からお付き合いを始めた彼には、一生懸命「本当の自分」を見せようと努力しました。彼は強がりなわたしの弱さをわかってくれて、彼の前では泣いていいんだ、とホッとしました。そうしているうちに、「彼の前では弱いわたし」というキャラを見事に習得。もう本末転倒ですね。彼に嫌われたくなくて、彼好みの「頼りなくて弱いダメな彼女」を演じ続けます。そんな彼と結婚することになり、ますますこじらせていくことになります。彼は誰よりも上に立ちたいタイプの人だったので、おそらく「頼りなく弱いわたし」はとても居心地が良かったのでしょう。彼と違う意見を言おうものなら正論で言い負かされてしまうので、わたしもそれを避けるため彼が望んでいるであろう意見を察知して言うようになりました。だんだんその「彼の必要としている意見」が自分の意見なんだと勘違いするようになっていきます。何をするのも、何を決めるのも彼次第、自分の意見も気持ちも心の奥底に閉じ込めて、ぎゅうぎゅう押し込んで、ただ彼のしたいことをしたいようにできるように。そんなことを何年もしているうちに、わたしは精神的にも肉体的にも弱ってしまいます。東日本大震災の直後、経済的な問題とかいろいろあって、わたしは彼と別居することになりました。でもまだこの時点では自分が弱ってしまっていることに気づけず、状況が好転したら、また彼と結婚生活を続けるんだと思っていました。その後わたしは実家に戻ったのですが、さすがに30代半ばになって親の前で「良い子」を演じなくてもよくなっていました。さぁ、いよいよ「本当の自分」を取り戻す機会がやってきました。…ですが長年いろいろ演じてきて、もはや「本当の自分」がどんな人なのか、自分でもわからなくなっていました。少しずつ、少しずつ、自分の気持ちを自分に問いかける日々が続きます。別居して4か月ほど経った頃、彼と話し合うため久しぶりに会いました。…彼と話をして、なんだか今まで感じなかった違和感を覚えます。別居前と何も変わらない彼。変わったのは、わたし自身でした。あぁ、この人とは、もう一緒には暮らせないんだな。そう思って、それから2か月後、大きな病気が見つかったタイミングで、わたしから離婚を切り出していました。今も、「本当の自分」を取り戻すことは続けています。今の夫と再婚して、徐々にではありますがだんだん素の自分を出せるようになってきました。今でも多少は場の空気を読んでキャラを演じる、ということもありますが、それもわたし自身の一面のひとつであって、わたし以外の何者かではないんだと気づきました。ここまできてやっとわかりました。志緒がどんな役を演じていても、毅然としていて美しい理由。志緒は役を演じていても、常に志緒であるということ。演じる役全てが、志緒の中にある一面のひとつなんだ、だから嘘がなく、カッコいい。今回このドライフルーツティーに「P.A.」を組み合わせたのは、この紅茶が志緒みたいだな、と思ったから。ベースの紅茶は名古屋の老舗紅茶専門店・えいこく屋のウバが使われています。えいこく屋の紅茶はオーナー自ら産地から買付けをしている品質の素晴らしいものですし、ウバは世界三大紅茶のうちのひとつで、独特のメントール感がキリっとして爽やかな、単品で飲んでもとても美味しいセイロンティーです。さらに使われているドライフルーツ、これがまたとてもこだわり抜かれて選ばれた、全て国産で減農薬の果物たち。えいこく屋で丁寧に乾燥やフリーズドライされていて、そのまま食べてもとても美味しいんです。ベースの紅茶が役を演じていない素の志緒だとしたら、中のドライフルーツは志緒が演じるいろんな役。苺、オレンジ、りんご、キウイ、ブルーベリー…それぞれ個性のある果物の良いところが凝縮しています。志緒に嘘がなくカッコいいのは、どんな役を演じていてもブレない自分の軸がしっかりとあるから。このドライフルーツティーの素材がどれもこだわり抜かれ厳選された果物だけ、というのに似ている気がします。比べて過去のわたしは、言うなればこだわりの全くない、人工的な香料を使ったフレーバーのフルーツティー…?ひょっとしたらフルーツティーの食品サンプルみたいに、実際には飲むことができない偽物なのかも。いや、食品サンプルも最近はとても本当と見間違えるほどのクオリティですよね…てことは絵に描いたフルーツティーってくらいのレベルでしょうか???わたしもしっかりとした自分の軸を見つけて、自分らしいこだわりを詰め込んだ、わたしだけの美味しいフルーツティーを作りたい。絵でもなく、食品サンプルでもなく、人工的なフレーバーでもない、自信を持って振る舞えるようなこだわりのフルーツティー。志緒のフルーツティーにはとても敵わないにしても、わたしも美味しいフルーツティーを目指して、これからも自分に磨きをかけていくつもりです。このドライフルーツティーを飲んで、本当の自分はどんな風なのか、自分に尋ねてみる。何が好き? 何が譲れない? 何をしたい?…フルーツと紅茶の優しい香りに癒されて、素の自分がひょっこり顔を出すような、ゆったりとしたひととき。そんな時間をみなさまもこのドライフルーツティーを飲んで体験してみてはいかがでしょうか?「P.A. プライベート アクトレス」赤石路代 著小学館フラワーコミックス(1991〜1999)photo & text by すずまき2020.11.28 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#8#8「ブルーもしくはブルー」×ブルーマロウティー人生において、Aを選ぶかBを選ぶか、その選択如何でその後の人生の全てが変わってしまう…そんな分岐点を人はいくつ経験するのでしょう?はちみつバードなお年頃のみなさまにも、今まで幾度となくそんな分岐点にさしかかってきたことでしょう。わたしも何度も何度も選んで選んで、この人生を歩んできました。この小説、「ブルーもしくはブルー」は、ふたりの結婚相手候補のどちらと結婚するか、という人生最大の選択をした主人公・蒼子が、数年後、自分が選ばなかった相手と結婚した「自分」・蒼子と出会ってしまうところから始まります。今現在の生活に飽き飽きしていた蒼子は自分そっくり(当たり前なんですが)の蒼子と1ヶ月の間入れ替わって生活することを提案します。が、入れ替わり生活をするふたりを待ち受けていたのは…?この究極の選択小説を読んだのは、わたしも当時としては人生最大の二者択一の分岐点で、こっちにする!と決めて選んだばかりの頃でした。大学卒業を前に、就職活動をして(公務員志望だったので周りの友達ほどは活動してなかったけれど)どうにかふたつ、内定をもらいました。ひとつは当時まだ国家公務員だった、郵便局内務の仕事、いわゆる郵便局の窓口の人。もうひとつは県職員、小中学校の事務の仕事。どちらも志望していた図書館司書の仕事とは全く違う職種でしたが、当時のわたしには就職浪人して何としてでも司書になる、というそこまでの信念はなく、まぁ居場所があるならどちらに決めればいいか…なんて浅はかな、短絡的な考えでした。それでもそれなりに悩んで、いろんな人に相談して、郵便局員になることを決めました。この本を読んだのは、ちょうどそんな頃。郵便局員になるという選択をしたわたしは、将来蒼子のように、学校事務を選んでいればよかった、と後悔することがあったりするのかな…あるかもしれないな…なんて思ったりしていました。しかしすぐにそんな迷いはなくなりました。というか、迷うとか後悔するとか、そんな心の余裕すらなくなっていきました。郵便局員という仕事は、想像以上にハードだったのです。わたしには向いてない向いてない、と思いつつなんとか10年続けましたが、結局いろいろあって退職することになりました。…でも今となっては学校事務の仕事を選んでいればよかった…とは思っていません。郵便局時代、とても辛いことや悔しいこともたくさんありましたが、そこで得た友達や経験はとても貴重で、他には替え難いものでした。今ではわたしの大切な、わたしを創っている要素のひとつです。その他にも何度も人生の分岐点を経験しました。人生で一番大きな選択をしたのは、9年前でしょうか。前の夫と、離婚をするか、そのまま一緒にいることを選ぶか。この選択は、あの頃のわたしにとっては悩んで悩んで悩みまくった、本当に大きな分岐点でした。結果、離婚を選択したわけですが。もし今、離婚をせずあの人と今も生活している自分が目の前に現れたとしたら。わたしは蒼子のように、入れ替わりを提案したりすることはありません。逆に入れ替わりを提案されても、丁重にお断りします。もしも離婚しなかった自分が、今よりも幸せで裕福で、何不自由ない暮らしをしているとしても、わたしは今の生活を選びます。何故って、わたしはこの選択に、一切後悔なんてしていないから。あの時の選択が、正解だったとわかっているから。蒼子もそのくらい自分の選択に自信を持っていたら、入れ替わろうなんて提案はしなかっただろうな。でもそうしたら小説にはならないけど(笑)この小説「ブルーもしくはブルー」と、ふたりの蒼子の為に淹れるのは、紅茶ではないのですが、ブルーマロウというハーブを使ったハーブティー。淹れるととても綺麗なブルーの水色になるハーブティーです。でもはちみつやレモンを加えると、その綺麗なブルーがなんとピンクに色を変えるのです。ふたりの蒼子のように、選択肢によって全く違うもののようになってしまう。…でもそれは見た目だけであって、中身はどちらもブルーマロウという同じハーブティー。本質はどちらも変わらないのです。蒼子がどちらの相手と結婚しようが、わたしが郵便局員になろうが学校事務員になろうが、離婚しようがしまいが、蒼子は蒼子だし、わたしはわたし。どちらかを選んで、全く別の環境や人間関係を経験するとしても、その経験の本質というのは、ひょっとしたら変わらないのではないでしょうか?結局、どちらの蒼子も根本は同じ問題を抱えている。結局どちらを選んでも、出てくる問題、学ぶべき試練の根本的なところは、変わらないのだとしたら。あぁあの時アレを選ばなかったから…あっちを選んでいれば…と後悔ばかりしているか、後悔はせずに正面から受けて立とうとするか。どちらがいいとか悪いとかではないけれど、わたしは後者でありたい。ブルーマロウティーがブルーでもピンクでも、どちらも綺麗だしどちらもブルーマロウティー。自分をしっかり持っていれば、自分が選んだ道に自信を持てるし、それは正解だと思うんです。ていうか本当はどちらを選んでも、はじめから正解しかないのかもしれません。これからもいろんな人生の分岐点がやってくると思います。でも、臆せず自分で立ち向かっていく。思い出すことはしても、後悔はしない。…そんなことを決意しながら、優しいブルーマロウティーのティータイムに身を委ねる…。さて、これからわたしの人生に、どんな分岐点がやってきて、どんな選択肢が現れるのかな?ゆったりと楽しむくらいが、ちょうどいいかもしれませんね。「ブルーもしくはブルー」山本文緒 著角川文庫(1996年)photo & text by すずまき2020.06.17 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#7#7「娚の一生」×アッサムのスパイスチャイ年上の男性に弱いんです。いきなりなんの話…?突然で申し訳ありません、わたしの好みの男性のタイプの話です。もちろん年上というだけではなくて、年上で、インテリな人に弱いんです。高学歴ということではなく、頭の良い人。わたしの知らない分野のことををよく知っていて、いろいろ教えてくれて、この人すごいなぁ…と素直に尊敬できるような人に惹かれます。さらに一緒にテレビを観ていて、同じところで笑えるような人だと嬉しいです。笑いの感覚が同じだと、それだけで安心感というか、ホッとします。あとどことなく陰がある、とか?普段は明るくて人当たりも良いのに、ふとした瞬間、垣間見える陰とか過去とか闇とか…(闇はマズいか…)。もちろんそれについては多くは語らない。…キュンときます。今までわたしが好きになった人、お付き合いをした人、少ないですが、今思えばみんなこの上記の条件が当てはまっていました。はじめから条件に当てはまる人を探しているわけではないのですが、不思議とみんなそんなタイプの人でしたねぇ。さらに理想を言うなら、シュッとしている人が好きかなぁ。細身ですらっとしている人に憧れます。でも背は自分より高ければいいなぁ、ってくらいなので、そこまで重要視はしてないかも…。必須条件ではないですが、眼鏡が似合う人、スーツが似合う人ならもう無条件降伏です。ついつい眼鏡スーツ男子に萌えてしまいます。ネクタイとか、プレゼントしたいです。…そんな人いないよなぁ…いるわけないよなぁ…と思っていたら、いたんです!!!そう、この「娚の一生」という漫画の作品の中に!!!「娚の一生」…「おとこのいっしょう」と読みます。30半ばで恋愛や仕事にちょっと疲れていた主人公・つぐみと、つぐみの祖母にずっと片思いをしていたという50過ぎの大学教授・海江田の、恋愛から結婚に至るまでを描いた、西炯子先生の一風変わったラブストーリーです。この、大学教授の海江田という人が、まさにわたしの理想の男性そのもの!!!年上のシュッとしたインテリ眼鏡男子!(男子…ってのは違うか…おじさんだものね…。)わたしがこの作品に出会ったのは、この作品が映画化される直前。本が刊行されてからはちょっと時間が経っていました。西炯子先生の作品は、学生時代に友達に借りて読んで、その独特な世界観に魅了されて自分でも買って読んでいました。しばらく先生の作品は読んでいませんでしたが、映画化の話を聞いて(主演トヨエツだったし←芸能人も年上好き)、無性に読んでみたくて、調べたら4巻完結だったので、そのまま近所の本屋さんに走って買ってきました。読んで早々に、海江田氏の大人な魅力にわたしの心は打ちのめされてしまいます。何度本を投げて悶絶したことか。もうあかん、好み過ぎてキュン死してしまうわ…。一気に読み終えて、一息ついて、思いました。…け、結婚しててよかった…。当時わたしは二度目の結婚をしたばかりで、その1年前は婚活をしていました。この作品、婚活中に(いやそれよりも以前でも)読んでなくて本当によかった…。こんなん婚活中に読んでたら、海江田氏みたいな人探してしまって沼にはまってしまうわ…。でもなにげに夫、海江田氏とはちょっと違うけど、さっき挙げたわたしのタイプにおおよそ当てはまっているかも?今までお付き合いした人の中でも一番年上だし(つぐみと海江田氏ほどの年の差はありませんが…)。美術とか音楽とか詳しいし、数字に強いところが尊敬に値するし。背はわたしより少し高いけど、わたしがヒール履いちゃうと抜いてしまうので、あまり高いヒールの靴は履かなくなりました。サラリーマンなので毎日スーツ姿を見れるのも、実は密かな楽しみだったりして。眼鏡はしていませんが、年齢的にもうすぐするようになるんじゃないかな…老眼鏡(笑)そんな惚気はさておき。「娚の一生」には海江田氏のことだけでなく、わたしが心を持っていかれたというか、印象的な場面があります。つぐみが海江田氏にお茶を淹れるシーンがよく出てくるのですが、ある時つぐみが気づくんです。お茶を淹れることが「いつものこと」になっているということに。詳しくは書きませんが、ひとりで生きていく、と思っていたつぐみが、いつのまにか海江田氏の為に…誰かの為にお茶を淹れることが「いつものこと」になっていた…。いつのまにか、海江田氏がいることが当たり前になっていた…ひとりではなくなっていた。わたしも毎日晩御飯のあと夫の為にお茶を淹れます。もちろん夫の為だけではなく、自分の為でもありますが。つぐみと違うのは、淹れるのは緑茶じゃなくてほぼほぼ紅茶(たまに緑茶の時もありますよ)なんですけどね。それでも誰かの為にお茶を淹れる…これって「いつものこと」になってしまっているけど、よく考えたら当たり前のことではないんですよね。つい6年前までは、この人にお茶を淹れてあげるなんて日常は、存在していなかった。人生って、なにが起こるかわからない。面白いものですね。そんな海江田氏に、つぐみに、夫に、わたしが淹れてあげたいのはアッサムのスパイスチャイ。高級な茶葉じゃなくてもいいんです。アッサムのブレンドとか、出来るだけ細かい茶葉で、濃く出るような茶葉。アッサムがいいと思うのは、アッサムがミルクに負けないコクを出せるというのもありますが、今回のこの話に関しては、アッサムがなんとなくわたしの理想の男性のようなイメージだから。ひとつのことに真摯で、伝統とか定説を重んじる節はあるのに、新しいこと(フレーバーとかアレンジとか?)にも柔軟に対応できる、みたいな?…あくまでわたしの勝手なイメージですが。アッサムの茶葉を水からお鍋で沸かし、単体では濃くて飲めないくらいに抽出する。その過程でカルダモンやシナモン、ナツメグ、ペッパー、クローブ、ジンジャーなどいろんなスパイスを一緒に煮込む。今までの人生で経験した、苦いことや辛いこと、苦しいこと、全部一緒に煮込んでしまう。そうして、そこに時間という名のミルクを注ぐとあら不思議、苦さも辛さも苦しさも全て緩和されて、美味しい飲み物・スパイスチャイになる。ミルクを入れてからは沸騰させないように気をつけて。チャイも大人の恋も、沸騰するくらい熱くなってしまうと台無しになるから。沸騰一歩手前、くらいが大人の余裕、ってことで。スパイスチャイ、そのまま飲んでももちろん美味しいし、スパイスのおかげで体がほかほか温まります。そこにお好みではちみつやお砂糖を加えて甘くしてみたり、ブランデーやラムを落として大人の味にしてみたり。時には子供っぽく無邪気にも、大人っぽくロマンティックにもアレンジできる…そこもまた、大人の恋って感じ???寒い夜、ふたりでスパイスチャイを飲みながら、とりとめのない話をしたり、笑いあったり。そんなたわいもない夫婦の時間を、これからも大切にしたいです。当たり前だけど当たり前じゃない、「いつものこと」。それを頭のどこかでちゃんとわかっているような、そんな夫婦でありたい。つぐみと海江田氏のような。「娚の一生」西炯子 著小学館flowersフラワーコミックスα(2009年〜2012年)photo & text by すずまき2020.01.17 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#6#6「CAROL」×FORTNUM & MASON EARL GRAY CLASSICあれは高校1年生の夏でした。高校に入学して、まるでぬるま湯のようだった中学校生活から一変、授業も部活もハイレベルになり、なんとか必死についていって、気がつけば夏休み目前。ようやくほんの少し心に余裕が出てきた頃のお話です。当時のわたしの通学路はかなりの田舎道で、家から高校まで自転車で約15分かかりました。山を切り開いた住宅地から坂を下り、線路沿いの道をしばらく進んで、狭いくせに交通量の多い踏切を通過すると、あとはひたすら田んぼの中を突き進み、心臓破りの急な坂道を登ったら、山のてっぺんが高校です。今では道中に商業施設もちらほらできているみたいですが、その頃はコンビニひとつありませんでした。そんな通学路の唯一の寄り道スポットは、線路沿いの道にあった本屋さん。この本屋さんには中学高校時代、特に高校生の頃に大変お世話になりました。漫画、小説、雑誌、ごくごくたま〜に参考書…この頃わたしの本棚にあった本は、9割方ここで買った本といっても過言ではありません。さて、高校生活にも慣れてきた高1のわたしですが、ちょうどこの頃夢中になっていた音楽がありました。それがTM NETWORK。以前このはちみつバードでも書きましたっけ。中3の時にアルバム「CAROL」を友達からダビングさせてもらって、以来ヘビロテで聴いていました。どんどんTMにのめり込んでいくうちに、アルバム「CAROL」の世界観を、メンバーの木根尚登氏が小説として執筆し、出版されていたことを知ります。これはどうしても、絶対読んでみたい!!!いても立ってもいられなくなったわたしは、線路沿いの本屋さんをはじめ、行ける範囲のあちこちの本屋さんを探します。…が、小説「CAROL」が発売されてから、1年以上経っていました。田舎の小さな本屋さんには、どこを探しても置いてありません。今でこそAmazonでポチッとすれば済む話なのですが、当時はまだインターネットが一般家庭に普及する前、そう簡単にはいかなかったのです。そこでわたしは一大決心をします。…いや、全然大したことではないのですが。でも当時の田舎の女子高校生のわたしにとっては、生まれて初めての行動に、胸がドキドキだったのです。学校帰り、例の線路沿いの本屋さんに寄って、すぐさまレジに向かいました。買う本を持たずにレジに行くこと自体、初めてです。店員さんに声をかけるのも、もちろん初めてなので緊張の一瞬。「あの…予約…取り寄せしたい本があるんですけど…」生まれて初めて、本屋さんで本の取り寄せをお願いしたのでした。くだらないことなのですが、本当にこの時の緊張で顔が真っ赤になった記憶は、今でも忘れません。一大決心をして取り寄せをお願いして、10日くらい待ったでしょうか?その間はずっと、小説の内容をアルバム「CAROL」を聴きながら想像(妄想)してはドキドキワクワクしていました。夏休み前だというのに勉強にも部活にも身が入りません。(勉強はともかく、部活はこれからが大会に向けて正念場なのに…。)そしてその時がとうとう来ました。本屋さんからご予約の本が入りましたよ〜と電話があり、すぐに自転車を飛ばして向かいました。手に入った時の嬉しさ、一秒でも早く帰って読みたいという逸る気持ち…これも今でも覚えています。いつもよく買っている漫画や文庫本とは違う、ハードカバーの本の重さが、初めて取り寄せを成し遂げて少し大人になった自分の自信のような、達成感のような、そんな重さに感じました。ほんとに大げさですが、自分がちょっと誇らしく思えたのです。もちろんその日のうちに一気に読みました。アルバム「CAROL」の世界…ぼんやりと霧に包まれていた世界が、ぱあっと目の前に広がります。主人公はイギリスに住む普通の女子高校生・キャロル。そのキャロルが、イギリスはじめ世界中から消えてしまった「音楽」を取り戻すため、異世界で悪と戦う…。ざっくり言うとそんなお話です。この頃のわたしはこういうファンタジーを好んで読んでいました。超多忙な部活や勉強の合間を縫って、現実逃避するように漫画や小説を読んで、それだけでは足りなくて自分で小説まで書いていました。その頃の時間の使い方には、我ながら脱帽してしまいます。寸暇を惜しんで現実逃避…今思えばよほど現実世界に不満があったのでしょうね。時を同じくして、現実逃避先…つまり漫画や小説の中で、わたしは今後の人生を決定づけるモノに出会います。それが、紅茶。いろんな作品の中に出てくる紅茶の種類の多さ、名前の美しさに、わたしは強く強く心惹かれました。当時は日東紅茶のティーバッグしか知らない田舎の高校生です。いったいどんな紅茶なんだろう….どんな味かするんだろう…飲んでみたい。そんな時、たまたま父が仕事でイギリスに視察旅行に行くというではないですか!お土産なにがいい? の父の質問に、迷わず紅茶!!! と即答しました。そのお土産にもらった紅茶のひとつが、今回「CAROL」に合わせたフォートナム&メイソンのアールグレイです。当時の紅茶の缶は、いまだに大切に使っています(写真の深緑の缶がそれです)。厳密に言うと当時は名前が「アールグレイ」なので、今の「アールグレイ クラシック」とは中身が違うかもしれません。「スモーキー アールグレイ」という種類もあるので、ひょっとしたらそちらの方が近いのかもしれませんが…。初めて飲むアールグレイは、とても不思議な味がしました。まるでキャロルが異世界に突然トリップしてしまった時のような、今まで経験したことのない、驚きの感覚。自分が今まで飲んでいた紅茶とは全く違う。最初は違和感もありましたが、だんだん慣れてくると、異世界にもワクワクしてきます。紅茶のこと、いろんな種類のこと、もっと知りたい!この奥深い紅茶という異世界を、どんどん探検してみたくなったのでした。…30年近く経った今も、まだまだ探検の最中です。フォートナム&メイソンの本店は、イギリス・ロンドンにあります。最寄り駅はピカデリー・サーカス。なんと「CAROL」の冒頭のシーンも、ピカデリー・サーカスから始まります。これは今回久しぶりに読み直して気がつきました。なんという素敵な偶然…。キャロルもフォートナム&メイソンの前を通り過ぎたかもしれません。今もフォートナム&メイソンのアールグレイを飲むたび、「CAROL」をはじめ当時好きだった本や漫画を読むたび、わたしは高校時代に現実逃避しています。高校生のわたしが逃避したかった当時の現実世界は、今のわたしにとっては逆に逃避先になってしまっているのです。あの高校時代の多忙な日々が、いつのまにかそれだけ遠くになってしまったんだなぁ…。今のこの生活も、いつか未来のわたしにとって、現実逃避先になるでしょう。その時懐かしく暖かい気持ちになれるように、今から現実世界を楽しんでおかなくっちゃ。つらいしんどいもうやだ、と思っていた高校時代だって、懐かしい現実逃避先になるんだから。「CAROL」木根尚登 著CBS・ソニー出版(1989年)photo & text by すずまき2019.08.25 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#5#5「谷川史子傑作選・きみのことすきなんだ」×ニルギリのレモンティーゴールデンウィークの頃になると、毎年ある人のことを思ってプレゼントを探します。母の日…ではなく(それももちろん探しますが)、母の日生まれの彼女への誕生日プレゼントです。もうかれこれ30年以上、お互いの誕生日にはプレゼントを贈りあっています。彼女と出会ったのはまだ昭和の時代。わたしたちは大阪のとある街の小学5年生で、わたしはそのクラスの転校生でした。どういうキッカケで仲良くなったかははっきりと覚えてないのですが、すぐにクラス内でも放課後でもいつも一緒に遊ぶ仲良しの友達になりました。彼女はその当時から可愛くておっとりしていて、スタイルが良くて洋服や文房具など持ち物もちょっとオシャレな、それでいてお笑いのセンスも抜群(大阪の子なので、そこは非常に重要ポイント☆)という、わたしにとって憧れの存在であり自慢の友達。ふたりで大笑いして過ごす毎日が、とても嬉しくて楽しくて。そんなわたしと彼女が当時夢中になっていたのは、「りぼん」という月刊少女漫画雑誌。今も昔も小学生女子に絶大な人気を誇る、少女漫画の代名詞のような雑誌です。当時は「りぼん」派と「なかよし」派でほぼクラスの女子を二分していたのですが、わたしも彼女も断然「りぼん」派。発売日に一緒に本屋さんに買いに行ったり、気になる連載漫画の続きを予想しあったり、ふたりで交換日記方式で「りぼん」風(?)の漫画を描いていたこともありました。谷川史子先生が漫画家デビューされたのは、ちょうどその頃の「りぼんオリジナル」。「りぼんオリジナル」は「りぼん」の増刊号的な位置付けの雑誌で、年4回、季節ごとに発行されていたように思います。そのデビュー作をリアルタイムで読んだわたしは、一気に心を奪われます。今までの少女漫画とは何か違う、可愛らしく優しいベールに隠された、静かで深い衝撃。キラキラわくわくドキドキ、少女漫画にありがちなドラマチックな展開ではなく、至極シンプルな日常に存在する切なさや愛おしさを描いた作品に、心を鷲掴みにされてしまいました。以来、30年以上追いかけて読ませていただいています。この「谷川史子傑作選・きみのことすきなんだ」には、昭和の終わりから平成のはじめにかけて「りぼん」と「りぼんオリジナル」に掲載された、谷川先生の初期の作品が6編収録されています。話は戻って、漫画の話ばかりして盛り上がっていたわたしたちですが、その楽しい時間は長くは続きませんでした。中学2年になる春、わたしは父の転勤に伴い、大阪から岐阜に引っ越すことになったのです。彼女と友達の関係を終わらせたくなかったわたしは、引っ越してからも懸命に彼女に手紙を書きます。彼女も頻繁に返事を書いてくれて、月に2〜3回のペースで文通をするようになりました。会えるのは年に1回くらいで、夏休みになるとお互いの家に泊まりに行ったり、もう少し大人になると一緒に旅行に出かけたり。会えるのが楽しみ過ぎて、待ち合わせ場所に着くまでの間、はやる気持ちに胸がドキドキ痛くなるほどでした。年に1度ほど会えるのを心待ちにしていたのは、彼女とだけではなく、谷川先生の作品とも。谷川作品は(特に初期の作品は)年に1〜2回のペースでしか発表されないのです。コミックスになるにはさらに時間がかかります。彼女と別々の生活を送るようになった頃から、「りぼん」を買うのをやめてコミックス派になったので、谷川作品を読める機会は減っていました。それでもコミックスが発売されるとわかると、発売日までそわそわドキドキわくわく…。彼女と谷川作品に登場する女の子たちには、なんとなく共通点があるように思います。谷川作品の女の子たちは、みんな真っ直ぐで凛としていて、ピュアで可憐で清楚で、それでいてユーモラスな面もあります。彼女もそんな女の子です。わたしはいつも彼女や谷川作品の女の子たちのような、そんな素敵な女の子になりたいと憧れて憧れて。自分じゃそうなれないのなら、せめてずっと見ていたい。なんでしょうこれは。もう、恋に近いものがありますね。わたしの想いが通じたのかどうかはわかりませんが、平成を通り抜けて令和になった今でも、彼女とはことあるごとに連絡を取り合っています。さすがに歳を重ねるにつれて会える回数も減ってきましたが、それでも会うと、離れていた月日が嘘のように、小学生の頃となんら変わらずくだらない話で盛り上がります。冒頭の誕生日プレゼントを贈りあう習慣もずっと続いていて、今に至ります。ふたりの中高生のお母さんとなった彼女ですが、相変わらずわたしの憧れで。わたしも彼女のような、素敵な母であり妻であり女性でありたいと常々思っています。谷川作品も今もコミックスが発売されると必ず買っています。初期の作品とは異なり、だんだん大人な作品になってはいますが、登場する女の子の基本的な姿勢は変わらず。相変わらず真っ直ぐで凛としていて、こんな恋がしたい(…したかった)ときゅんきゅんします。そんな彼女や谷川作品の女の子たちを想って飲みたい紅茶は、ニルギリのレモンティー。彼女や谷川作品に出会ったあの頃はまだ紅茶にのめり込む前だったので、紅茶といえばレモンティーしか知りませんでした。紅茶を勉強するようになって、レモンティーにはニルギリというインドの紅茶がよく合うと知りました。ニルギリは日本人が「これぞ紅茶!」と思うであろう、渋みの少ないスッキリとした紅茶。そのニルギリでレモンティーを淹れてみると…なるほど、レモンの爽やかさがより際立つ味わいになります。この素直な爽やかさ…そしてちょっと懐かしくホッとする感じ…。そうだ、この感じ、彼女に似ているんだ。谷川作品の女の子たちにも、通じるものがある。初恋のような、初夏の緑を風が吹き抜けるような、心をくすぐる爽快感。この季節になるとニルギリのレモンティーを飲みたくなります。それは誕生日プレゼントを何にしようか、彼女のことを考える時間が増えるからかもしれません。同時に初期の谷川作品もふと読みたくなる…。この記事が掲載される頃、彼女の元に今年の誕生日プレゼントが届くことでしょう。ニルギリのレモンティーを飲みながら、「きみのことすきなんだ」をはじめとする初期の谷川作品を読んで、彼女からの「届いたよ〜」のメールを待ちたいと思います。令和最初のプレゼント、気に入ってもらえるかな?「谷川史子傑作選・きみのことすきなんだ」谷川史子 著集英社文庫コミック版(2007年)photo & text by すずまき2019.05.18 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#4#4「ハリーポッターとアズガバンの囚人」×LAPSANG SOUCHONG昔から魔法使いに憧れていました。子供の頃から魔女っ子アニメをたくさん観て育ったわたし。占いも大好きで、雑誌「MY BIRTHDAY」のおかげでいろんな占いやおまじないに夢中になりました。でもさすがに魔法使いにはなれないとわかって幾年月経った20代半ばの頃、兄が「読んでみたら?」と勧めてくれたのがハリーポッターシリーズ。ちょうど第1作目「ハリーポッターと秘密の部屋」が映画化される頃、第3巻であるこの「ハリーポッターとアズカバンの囚人(以下「アズカバン」)が発売された頃のことです。小さい頃から魔法に目がなかった妹の趣味を、兄はよく理解してくれていたのですね。読み始めるとたちまち夢中になりました。もちろん本もDVDも全巻揃っています。最初に読んだ頃はあまり気に留めてなかったのですが、本も何回か読んで、映画もDVDも何回か観たある日のこと。ハリーポッターに出会ってから10年近く経ったころです。突然「これだ!!!」と思ったのでした。それはこの「アズカバン」に描かれている、わりと重要なポイントになるシーン。ハリーたちが占い学の授業で行う「紅茶占い」。写真のように、紅茶を茶漉しなしで淹れて(下のカップ参照)、カップに残った茶葉の形(上のカップ参照)から未来を占うというものです。…これならわたしにもできるかもしれない!ていうか紅茶好き、占い好きのわたしがやってみなくて誰がやるんだ!!!30過ぎた今、憧れの魔法使いにほんの少し近づける…心の中で少女のわたしが小躍りしていました。それから「紅茶占い」をやってみるべくいろいろ文献を探します。でも当時のAmazonでヒットするのはわずかな手がかり…しかも英語の文献ばかり。英語はちょっと苦手だなぁ…困ったなぁ…と思っていたちょうどその時、とある西洋占星術師の方のブログ記事を見つけます。その占星術師さんのお宅で、別の西洋占星術師の方が紅茶占いの一日講座を開催されるという内容でした。場所は吉祥寺。当時神奈川県の端っこに住んでいたわたしは、急いで吉祥寺までの行き方を調べました。…2時間くらいで行けそう!!!このタイミングで見つけたってことは、これはもう、行くしかないよね?!そういうわけで吉祥寺までひとりでいそいそと出掛けました。吉祥寺…生まれて初めて行く、おしゃれエリアです。行ってみたい紅茶屋さんがたくさんある、大好きな漫画家さんが住んでいるという噂の、住みたい街No.1の、あの吉祥寺です。参加者はわたしの他に2人と、主催の占星術師さん2人の、計5人。紅茶を飲みながら、サンドウィッチやケーキを食べながらの、アットホームな雰囲気の講座でした。午前中はほぼ紅茶の基本的なお話、午後から本格的に紅茶占いを実践…という感じ。ワクワクドキドキしながらいざ紅茶占いを体験します。紅茶占いもいろいろ文献によってやり方があるので、いろんなパターンを試してみます。最初は自分で自分の占いをしてみて、最終的に他の参加者さんのことを占いあってみたり…。驚いたことに、何度自分で占っても、他の人に占ってもらっても、共通して出てくるキーワードがひとつありました。それは「転居、旅行、家(資産)の移動」。その時はピンとこなくて、あぁ、旅行好きだからきっと近々旅行でもするのかな〜、くらいにしか思っていませんでした。…しかしその紅茶占い講座の約9ヶ月後。まさか元夫と別居して、自分の実家に帰ることになるとは…。そしてその後、離婚することになろうとは…(あ、そこまでは占えてなかった…)。キーワードは「旅行」ではなく、「転居」のほうだったのですね。その時は紅茶占いの結果を思い出せる余裕もなく、すっかりそんなことも忘れていたのですが。今思えばしっかりと当たっていたわけです。お遊び程度にやってみた紅茶占いでしたが…恐るべし紅茶占い!講座を受けてから数年が経ち、紅茶占い熱もすっかり冷めてしまいましたが、久しぶりにやってみようかな。そう思って淹れたのが、エキゾチックな独特の強い香りが魅力的な中国紅茶、ラプサンスーチョン。イギリス人が唯一ミルクを入れずに飲む紅茶だとか、イギリスのホテルのラウンジの給仕さんがこれをオーダーされると襟を正すだとか言われている、イギリス人にも一目置かれている紅茶です。その独特の香り、ハリーポッターの世界の何処かおどろおどろしい感じにも通じるものがあるような…。紅茶占いが流行したと思われる19世紀、イギリスにとって中国は、ミステリアス以外のなにものでもなかったのではないでしょうか?占いという神秘的な世界に、ラプサンスーチョンの香りはとても相応しい気がします。さて、気になる紅茶占いの結果はいかに?…こればっかりは、内緒です☆「ハリーポッターとアズカバンの囚人」 J.K.ローリング 著/松岡祐子 訳2001年 静山社photo & text by すずまき2019.02.26 11:00
すずまき*音楽と、紅茶と、あの頃と。#番外編#番外編「ELECTRIC PROPHET」×LUPICIA ROSE' ROYALクリスマス企画『わたしの思い出の一曲』ということで、今回は「本と、」ではなく「音楽と、」で書かせていただきます♪この曲に出会った頃、わたしは高校生でした。わたしが通っていた高校は、当時創立10年そこそこでしたが地域では知らない人がいないほどのバリバリの進学校でした。7時間目まで授業があり、1時間目の前と放課後と各科目の授業中にも小テストがあり、休みの日は模試三昧、夏休みと冬休みは補講という名の全員出席の授業、さらに部活も手を抜かない…今思い出しても毎日ハード過ぎるスケジュールで、よく生活できていたなぁと恐ろしくなります。校則も中学校以上に厳しかったな…。勉強に部活に超ハードスケジュールでありながら、そこは女子高生、そんな合間を縫って好きな本や漫画を読んだり、友達と好きなアーティストの話題で盛り上がったり、それなりに楽しく過ごしていました。当時わたしがのめり込んでいたのはTM NETWORK(以下TM)。中学の頃友達が聞いていて、彼女に勧められてわたしも心を奪われてしまいました。以来ちょこちょこ過去のアルバムなどを友達から借りてダビングしたり、自分でお小遣いを貯めてCDを買ったりしていました。そんなある日、別の友達からまだ聴いていなかったTMのミニアルバムを借ります。その中の最後の一曲、この曲に魅了されてしまったのです。小室哲哉氏の音楽には毎回毎回衝撃を受けますが、何より歌詞に撃ち抜かれました。2018.12.19 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#3#3「のだめカンタービレ」× MARIAGE FRERES WEDDING IMPERIAL子供の頃からクラシックは好きなほうでした。常にクラシックが流れている居間で紅茶を飲む…ような高尚な家庭ではありませんでしたが。初めて聴いたクラシックで覚えているのは、J.S.バッハの「ポロネーズ」(管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV.1067)。確か小学校2年生の頃、音楽の授業で聴いて、すごく綺麗な曲だなぁと子供心に思いました。以来、音楽の授業で聴くクラシックが大好きになりました。ピアノは同じくらいの頃からずっと習いたかったのですが、当時の家がマンションで狭かったので習わせてもらえませんでした。ピアノを弾ける友達がとても羨ましかったです。クラシック好きに火が点いたのは中学生になってから、吹奏楽部に所属してからです。ピアノ習いたい熱が再燃したのもその頃からでした。親に頼み込んで頼み込んで、ようやくピアノを習い始めたのは高校2年生になってからでした。中学高校時代は吹奏楽の曲はもちろんのこと、オーケストラからピアノ曲を中心に、CDでいろんな曲を片っ端から聴きました。クラシックの知識も徐々に増えていき、大学に入る頃には周囲の子たちより少しだけクラシック通になっていました。吹奏楽部は高校までで辞めてしまいましたが、大学時代に所属したサークルの発行するミニコミ誌でクラシックのコラムを書いたこともあります。社会人になっても、ピアノだけは続けていました。下手の横好きではありましたが、毎年発表会にも出させていただいていました。たまにオーケストラを聴きに行ったり、気に入った曲はCDを買ったり、わたしの中でクラシックはわりと日常的なものでした。そんな時、友達から「のだめカンタービレ」(以下「のだめ」)を勧められます。特にクラシックに何の思い入れもなさそうな友達が「面白いよ〜」と言うのだから、よほど面白いのだろうと思いつつ、読むタイミングを逃していました。ちょうどドラマ化される頃だったので、まずはドラマから入ることにしました。…なにこれ、めっちゃ面白い!!!ドラマを観て、すぐに本屋さんに走りました。その時出ていた全巻(12巻くらいだったかな?)を大人買い。貪るように読んで、読んで、読んで、知らない曲はYouTubeで探して聴いて、聴いて、聴いて。「のだめ」のお陰で(千秋先輩のお陰で?)クラシックの知識が更に増えました。「のだめ」と出会って少し後、引越しの為にピアノは辞めてしまいました。その後離婚やら何やら、個人的にわちゃわちゃしましたが、わたしの中でクラシックが鳴り止むことはありませんでした。「のだめ」を何度も読み返して、たまにオーケストラも聴きに行って、家でもCDを聴いて。そんなある日、「のだめ」で培ったクラシックの知識が、とうとう陽の目を見る(?)出来事が起こるのです!離婚して2年経ち、わたしは婚活を始めました。その婚活中に出会った男性、彼とはわりと話も弾み、趣味も合ったので、何度かデートをしました。そして4回目か5回目くらいのデートで、とある劇場にミュージカルを観に行ったのです。ミュージカルを観た後、喫茶店でお茶をしながらの会話で、彼が尋ねました。「この劇場来たことありましたか?」「はい、オーケストラの演奏を聴きに何度か…」わたしがそう答えると、彼は嬉しそうに目を輝かせました。「クラシック、お好きですか???」彼はクラシックに詳しくはないけれど、聴くのは好きでコンサートにもたまに行くのだと話してくれました。そこから話が盛り上がったのは言うまでもありません。今度はオーケストラを聴きに行きましょう! と、次のデートの約束もしました。…はい、これが今の夫との馴れ初めです。「のだめ」で培ったクラシックの知識が、ふたりのキューピッドになってくれました。この年から毎年、ゴールデンウィークに東京で開催されるクラシックのイベント「ラ・フォル・ジュルネ」にふたりで欠かさず参加しています。「のだめ」とクラシックに合わせたい紅茶は、マリアージュフレールのウェディングインペリアル。マリアージュフレールはのだめと千秋先輩の留学先、フランスはパリの老舗の紅茶屋さんです。フランス、パリに紅茶屋さんはいろいろありますが、何故マリアージュフレールを選んだかと言うと、夫からの初めての誕生日プレゼントがマリアージュフレールの紅茶とプロポーズだったから。故に、敢えて代表作マルコポーロではなくウェディングインペリアルにしました。のだめと千秋先輩もおそらくゆくゆくは…だろうし。ちなみにパリは新婚旅行でも訪れて、「のだめ」ゆかりのポン・ヌフやオルセー美術館にも行きました。もちろんマリアージュフレールのパリ本店にも。クラシックのように重厚で格式高く気品のある、ウェディングインペリアルの甘くビターなキャラメルの香り。水色はまるでヴァイオリンやチェロの表板のように美しい茶褐色。飲むたびに千秋先輩の指揮するルー・マルレ・オーケストラのハーモニーが聴こえてきそう…。歴史あるコンサートホールでクラシックを聴いた後に、ゆっくりとサロンで飲みたいような紅茶です。いつかふたりで本場のオーケストラを聴きたいものです…。ヨーロッパは湿度が低いので、音が違うそうですよ。…これも「のだめ」で得た知識でした…。「のだめカンタービレ」二ノ宮知子 著講談社Kissコミックス(2001年〜2010年)photo & text by すずまき2018.11.28 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。#2#2 「天使の卵」×ヌワラエリアのティーソーダ「この本めっちゃオススメ! こんな綺麗で繊細な恋愛がしたい!」そう言ってこの作品「天使の卵」を薦めてくれたのは、大学のサークルの、ちょっといいなと思っていた1学年下の後輩くん(でも実は同い年)でした。男の人でもそんな恋愛に憧れを抱くんだなぁ…と新鮮に感じ、少なからずキュンとしたのです。当時わたしは大学内のミニコミ誌(情報誌のような冊子)を企画・編集・発行するサークルに所属していました。サークルのメンバーは皆、本や漫画など文芸や音楽・芸術といったことに大いに関心のある個性的な人間ばかりで、毎日のように集まってはそんな話題で盛り上がる楽しい日々でした。中でもその後輩くんとはとてもウマが合い、飲み会や合宿になると決まって互いの理想の恋愛について語り合ったものでした。後輩くんは自身の恋愛話(失恋話が多かったけど)をよくわたしに話してくれましたが、わたしは理想の恋愛を語ることはあっても、自分の恋愛話は一切語ったことがありません。実は当時、わたしには付き合っている人がいました。彼は同じサークルの先輩で、わたしが入学した時は4年生でした。わたしが2年になった頃、わたしの方から一大決心をして生まれて初めて告白をして、お付き合いが始まりました。その頃彼は同じ大学の大学院生になっていて、サークルはもう既に引退していました。彼はサークル内に二人の関係を知られるのをとても嫌がり、皆には内緒で…と強く望んでいました。彼に心酔していたわたしは、それを頑なに守っていたのです。なので後輩くんにはもちろん、他の仲の良かったサークルの友達にも、このことは話していません。しかしその関係は非常に微妙でした。「誰にも内緒」というのは最初はとてもスリリングでドキドキして、中学高校と恋愛経験ほぼ皆無のわたしにとっては刺激的なものでした。が、だんだん「あれ?」と思い始めます。「わたしたちの関係って何?」思い切ってそう彼に尋ねたことがありました。返ってきた答えは、「二人の関係に、今は名前をつけたくない」言われたその時は「カッコいい…」とほわわわぁぁ、となってしまったわたしでしたが、いやいやいやいや、後から思い出すと「は???」です。自分から告白して、舞い上がっているのは自分だけなんじゃないかな。彼はわたしのこと、何人もいる女友達の中のひとりくらいにしか思ってないんじゃ…?そんなことを思い始めた頃、薦められたこの作品。後輩くんのように、こんな恋愛がしたい、とまでは思いませんでしたが、わたしは主人公の想い人・春妃に強く惹きつけられました。春妃は儚げで頼りなく見えるけど、芯はしっかりしていて強く、ブレない女性。そんな彼女を、主人公は真っ直ぐに追い求めます。読めば読むほど、女は追いかけるより追いかけられる方が、愛するよりも愛される方が、幸せなんだとわたしに思わせました。そういえば昔、祖母も言ってました。「女は愛されてナンボやで」幼い頃はその意味もよくわからなかったけど、そういうことなのか、な?わたしはそのあと就活を理由に彼から距離を置くようになりました。決まったら報告します、と言ったまま、実際なかなか決まらなかったのもあって、そのまま自然消滅。彼の方からは全く連絡はありませんでした。次の恋愛は絶対に自分のことを好きになってくれる人としよう。そう心に決めました。なので後輩くんのことは少し気にはなっていましたが、自分からアクションを起こすことはありませんでした。後輩くんとも卒業してからは一度も会っていません。自分のことを好きになってくれる人、その人が現れるまでに、わたしは春妃のような女性になりたい。辛いことや苦しいことがあっても、ちゃんと自分の足でしっかりと立っていられる女性に。今久しぶりに「天使の卵」を読み返して、合わせたい紅茶を考えた時、ふと思いついたのがヌワラエリアのティーソーダ。ヌワラエリアは、スリランカの紅茶、いわゆるセイロンティーの種類のひとつ。わたしの中では清楚で女性らしく、凛とした、春妃のようなイメージの紅茶。…そういえば初めてヌワラエリアを飲んだのは、彼に連れて行ってもらった大学近くの紅茶専門店だったっけ。彼も紅茶好きだったので、いろんな紅茶専門店や喫茶店に連れて行ってもらいました。そんなヌワラエリアを水出しならぬ炭酸水出しにした、ティーソーダ。しゅわしゅわと刺激的で、刹那的な淡いセピア色の水色…あの頃のわたしの恋心のような。瞬間で消える泡のあとに、切なくなるようなヌワラエリアの心地よい渋みが広がります。甘やかで、でもチクリと痛い、あの日の恋。あれから多くはないけれど、いくつか恋をして、今のわたしがいる。春妃よりもずいぶん年齢を重ねてしまったけれど、わたしは春妃に近づけただろうか?春妃より大人になれた気もするし、全然大人になれてないような気もする。でも。あんな恋はもうしない…もうできない、から。今だけは「天使の卵」とヌワラエリアのティーソーダで、あのもどかしい日々を想う。先輩、あの頃のわたしたちの関係、今なら名前はつけられますか?…会って聞いてみたいような、聞きたくないような…。「天使の卵」村山由佳 著集英社文庫(1996年)text & photo by すずまき2018.10.28 11:00
すずまき*本と、紅茶と、あの頃と。 #1#1「ハチミツとクローバー」× キャンブリックティー「ハチミツとクローバー」(以下「ハチクロ」)と出会ったのは、今から12年前。当時のわたしは、かなり追い詰められた生活をしていました。大学を卒業し、某金融機関の窓口で働き始めて10年目に突入。その春、8年以上勤めた居心地の良い店舗から、田舎の小さな小さな店舗へ転勤し、実質その店舗のNo.2の地位にいました。だらだら仕事をしてちっとも帰ろうとしない上司と、会話のキャッチボールができない後輩の間に挟まれながら、20時21時は当たり前、日によっては22時くらいまで続く残業の毎日。一方プライベートでは結婚して3年。突然(でもなかったけれど)個人事業主となった夫(今の夫とは違う人です)の収入はほとんどなく、毎日家にいるのに家事は何ひとつしてくれない(わたしも「手伝って」って言えなかったのが良くなかった…)。残業して帰宅して、ご飯作って掃除して洗濯して…。常に睡眠不足の状態で、家事の合間に紅茶を飲むことだけが唯一の救いでした。そんなわたしが「ハチクロ」を読んで思い出したのは、主人公たちと同じ、大学時代。あの頃は毎日が楽しくてキラキラして、仲間とくだらないことでワイワイ騒いでたよなぁ…。卒業して10年。あの頃見た夢は、一体何処へ行ってしまったんだろう?わたしは、今ここで、一体何をしているの?家計を支えなきゃ、という思いだけで、好きでも得意でもない仕事に振り回されて。夫は好き勝手やりたい放題なのに、何故わたしだけが我慢しなきゃいけない?毎日に流されて、自分が何をやりたかったか、何が好きだったかさえ、わからなくなっていました。「ハチクロ」の登場人物たちは皆、悩んでも迷っても、自分自身の核、のようなものを持っている。自分にとって、大切なものは何か、ちゃんと最後には自分の手で掴んでいる。わたしも、「自分探しの旅」をしなきゃいけないのでは?…それからわたしは、自分の好きなことって何だろう、やりたいことって何だろう、と自問自答の日々を過ごします。ただ単にストレスやプレッシャーから逃げるための手段だったのかもしれません。同じ年の秋から、紅茶コーディネーター養成講座を受講し始め、翌春には資格取得。その上の資格・紅茶学習指導員にもチャレンジし、こちらも無事資格取得。同じ春、10年勤めた某金融機関を退職しました。それからの10年間は、自分でもびっくりするくらい激動の時代となりました。縁もゆかりもない土地での生活、夫との別居、再就職、離婚、二度の入院・手術、婚活、再婚…。あの頃には想像もできなかった心穏やかでのんびりした生活を、今は送らせていただいています。「ハチクロ」の世界は一見甘く、ふわふわしていて柔らかく優しい。でもただスウィートなだけではなく、ちゃんとその裏に苦さとか辛さ、厳しさや鋭さが隠れています。人生も同じ、甘くて優しくて、それでいて苦くて苦しい。そんな「ハチクロ」に合わせたい紅茶は、キャンブリックティー。キャンブリックティーとは、蜂蜜入りのミルクティーのことです。キャンブリックティーの水色(すいしょく※液体の色のこと)は、まるで昔大好きで大事に大事にしまっておいた本の、色褪せた紙の色みたい。蜂蜜はただ甘いだけではなく、どこかほろ苦く、ミルクティーは優しくまろやかだけど、後に残る紅茶の味は、ほんの少し渋い。あの頃の辛さや苦さを、時間という蜂蜜とミルクが、まろやかに優しく包み込む…懐かしさに似た、キャンブリックティー。あの頃のわたしに、「ハチクロ」と出会った頃のわたしに、温かいキャンブリックティーを淹れてあげたい。いろいろあるけど大丈夫だよ、と、ぷっくぷくのティーコゼーで包み込んであげたい。ああ、今このひとときが、「あの頃の未来」というものですか?そして今のわたしはまた「ハチクロ」を読みながら、キャンブリックティーを飲んでいる。次の未来に向けて、旅を続ける。ビターでスウィートな気持ちを、たくさん胸に抱えながら。「ハチミツとクローバー」羽海野チカ 著集英社クィーンズコミックス(2002年〜2006年)photo & text by すずまき2018.09.17 11:00