インコさんから、クリスマス企画として「私の思い出の1曲」を記事の中に入れてくださ〜い、というお話をいただき、二つ返事で「是非!!」と即答したものの、、、
う〜む、、う〜む!!!
と、先ほどまで悶え苦しんでおりました・・・(笑)
No music, No life。「いくらでも出てくるわ〜」と甘く見過ぎておりました。
・・・決められない・・・(泣&汗)
実は、私はいつもはちみつバードの記事を書かせて頂くとき、インコさんには本当に本当に申し訳ないのですが、指定日の前夜(というか当日の深夜)にお届けするというギリギリっぷりなのです。締め切りが近づかないと、重い腰が上がらないという、なんとも悩ましい性質が邪魔をし・・・
「思い出の1曲」を「思い出のライブ」にアレンジさせてください。
Patti Smith "Gloria" at FUJI ROCK FESTIVAL 2001
「ミレニアム」と呼ばれていた2000年当時。相変わらず、私はよくライブに出かけていたのですが、驚くような話が飛び込んできました。
N.Y.のパンク・ロックの女王、パティ・スミスがフジロックに来るというのです。
パティ・スミスは1944年生まれの女性、パンク・ロッカーで詩人です。その人生は本当に波乱に飛んでいますが、まもなく74歳を迎えようとしている現在もまだ現役です。
彼女が日本にやって来る。しかもフジロックに!!まさか?!ほんとうに?!
この疑いは(笑)、実際にフジロックのステージにパティ達が姿を見せるまで晴れませんでした。
そしていよいよ当日です!名古屋から夜行バスで乗り込み、真夏の炎天下、午後3時からのメインステージという、パティ・スミスに最も似つかわしくない時間帯と場所でのライブが始まろうとしていました。私は、パティの前にライブをやっていたアイルランドから来たグループの時から最前列を陣取っていたので、準備は万端でした。そのグループのライブが終盤に差し掛かる頃、ギャラリーが増え、次第にアリーナがたくさんの人で埋まっていきました。ふと後ろを見ると、全身黒づくめのスーツにサングラスをかけた、作家の町田康さんを発見。
パティのライブ開演時刻が近づいて来ました。ステージ前のアリーナの熱気は半端なく熱かったのと同時に、誰もが不安に思っていました。
「パティは本当にここに来ているのだろうか?」
開演開始時刻が過ぎても、パティは現れません。5分が過ぎても、10分が過ぎても現れず、場内からは自然に「パティ!パティ!」と、パティを呼ぶコールが始まりました。
「ああ、やっぱりパティはここに来ていないんだ…」
20分が過ぎ、真剣にそう思った瞬間、ステージの端からパティを先頭に、ギタリストのレニー・ケイなど、パティ・スミス・グループのメンバーが並んで歩いて出て来ました。
その瞬間の狂気の叫びが飛び交うような、後ろから前に押され、地滑りが起きたような衝撃は、今でも忘れられません。
その瞬間から、私の記憶は一瞬で吹き飛んでしまいました。
まさか、この大好きな名曲を1曲目にやるなんて!!もう嬉しくて嬉しくて、場内中が大合唱していたような気がします。圧倒的なエネルギー。それまでたくさんのライブを見て来たけれど、こんなに凄まじいエネルギーのライブは観たことがありませんでした。ライブ中も、「こんなすごいライブは観たことがない!今まで観たライブは何だったのだ!」と、何度も驚き、感動し、圧倒され続けていました。
実は、この時のライブの記憶がほとんど無いのです。あまりにも凄過ぎて、ライブの光景は覚えていないのですが、この時のエネルギーだけを覚えている感覚です。
そして、ライブの始まりの "Gloria"という曲です。この曲をヘッドフォンで聴いていると、ライブの記憶が蘇りますし、曲の展開が物凄くカッコいいので、ついトランス状態で歩いてしまいます(笑)。身体中の細胞に刻み込まれた熱い1曲です。
過去に観た全てのライブを覆してしまう如く、圧倒的で一生忘れられないライブでした。もう17年も前のことなのに、しかも、トランス状態になってしまって、殆ど記憶がないというのに、このライブのエネルギーだけは鮮明に覚えていて、すぐにあの時の臨場感を思い出すことが出来ます。今まで観たライブは全て素晴らしいものだったけれど、この時のパティ・スミスのライブは特別で、これぞライブだ!!と全身で感じさせてくれたものでした。
text by Ray
占星術家、英国IFA認定アロマセラピスト、執筆家。
星と香りと共に、 人生の航海を謳歌するための活動をしています。
Ray's Ensemble主宰、名古屋在住。
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