スイ

ご訪問ありがとうございます(´∀`)

「雰囲気をたのしむ」をコンセプトに
風・匂い・時間を感じる写真を撮り続けています

コンデジからスタートしたフォトブログですが
現在はミラーレス・デジタルフルサイズ・フィルムカメラと
撮影場所や被写体によって使い分けて楽しんでおります

※たまに夫が撮った写真も載せていますが、その際には「suisuisui」とsuiを3つ入れて区別しています

◇2019年初夏、個展「雰囲気写真」をギャラリーイロ(吉祥寺)にて開催しました。
ご来場くださった皆様、準備期間応援してく

記事一覧(14)

Sui's standards vol.5

「美」のスタンダード子供の頃住んでいた家の近所に庭に葡萄の木がある古い洋館がありました。そこに住む高齢の女性は以前から近所の子供相手にピアノを教えておりすでに習っていた姉を真似てわたしも通うようになりました。***洋館の門構えはとても質素で塀というよりは垣根に近く白木でできた背の低い門を開けると、小道のような石畳が続いておりその先にクニャりと枝を伸ばした葡萄の木がテラスの柱にしっかりと巻きつき屋根代わりとなっていました。玄関がどこにあるとか洋館の壁が何色だったとか細かいディテールはもうすでに記憶に残っていません。ですが、夏になるとテラスの窓が開け放たれ葡萄の葉の陰になった暗い室内から白いレースのカーテンがちらちらと揺れ木漏れ日が丸い光をかたどってテラスの床に落ちる光景がとても涼しげで品があってまるで童話に出てくる世界だなと当時のわたしは幼いながらも憧れを抱いていました。***レッスンは楽しかったりへこんだりあんまり上手にはなりませんでしたがレッスンの終わりに出される先生手製のお菓子を食べたくて休まず通っていました。先生はちょっと厳しめでしたがお菓子はとっても甘くて優しい味で子供相手だというのに我が家にはないような綺麗なお皿で丁寧にもてなしてくれました。***自分の「美」の基準はどこからきたんだろう。そんなことを考えた時、真っ先に思い浮かんだのはこの洋館の夏の日の情景とレッスン後のもてなしでした。残念ながら音楽的なセンスは育ちませんでしたけれど写真を撮るときにも、絵を描くときにも創造する時はだいたいこの情景を基準に裾を広げていきます。意識してそうしているわけではなくて自然と原点回帰してしまうのです。誰も思いつかないような天才的な発想はできませんがいつでも帰ってこられる「美」のスタンダードがあることで心地よく創造できるのは幸せだなと思います。***ラストを飾る最後の一枚はわたしの中の「美」の基準の一つ洋館の思い出をイメージしてセッティングしました。キティーちゃんのティーカップは当時のわたしが実際に使っていたものです。食器棚の奥からこれを見つけたときにそうだ、この写真にしようと決めました。最後の「Sui's standards」の写真を撮りながら思ったのはわたしの写真はいつでも当時の自分を思い出して懐かしむ。懐古主義なんだということです。そして、そんな「美」のスタンダードを持ちながらわたしは写真を撮り続けていくんだなと思います。現在もそしてこれからも。スイtext & photo by sui

Sui's standards vol.4

リーフパイと紅茶今で言えばママ友でしょうか。姉の同級生のお母さんが自宅で開くお菓子教室に母は幼稚園にあがる前の小さいわたしを連れて参加していました。そのときの記憶を手繰ると必ず蘇ってくるのはクッキー生地に練りこまれたバターの甘い香りと当時にしては珍しかったリビングキッチンに差し込む明るい日差し。多分色々なお菓子を作っていたと思うんですが、唯一記憶に残っているのはリーフパイ。葉っぱの形をしたステンレスの型を薄く伸ばしたクッキー生地にサクりとはめてはペロりと取り上げる。拙いながらもわたしも1枚だけお手伝いさせてもらいオーブンシートにずらりと並んだ葉っぱの群れを眺めて嬉しかったのを覚えています。***リーフパイが焼きあがると今度は紅茶を準備してお茶会が始まります。いつもは母がわたし用に砂糖を入れた甘い紅茶を用意してくれるのですがその日は準備に忙しい母を気遣って自分で甘くしてみようとシュガーポットから一人で砂糖を入れていきました。1杯、2杯、、、。でも、ちっとも甘くなりません。気づけば5杯目。わたしが首を傾げていると隣に座っていた他のお母さんにスイちゃん!お砂糖が紅茶の中で山盛りになってるわよ。と笑われました。そう。小さかったわたしは紅茶に入れた砂糖をかき混ぜるということを知らなかったのです。山盛りに砂糖が入った紅茶。恥ずかしくて顔を真っ赤にしているわたし。リーフパイと言えば山盛りの砂糖入りの紅茶を思い出すのです。***夫の母親が銀座ウェストのリーフパイが好きだと知ったのは結婚後数年してからのこと。新年の挨拶に持っていく品をリーフパイにして欲しいと頼まれてからは、毎年恒例になりました。義母の趣味はお菓子作りでした。わたしが今でも覚えているのは手作りのフルーツバターケーキ。あまりの美味しさに同じものを作ってみたくなり、一度だけ義母に習ったことがあります。夫は一人っ子な上に料理に興味もない人ですから義母はわたしの申し出をかなり喜んでくれました。当日行ってみると材料から道具まで、準備万端に揃えられた状態でわたしを迎えてくれる義母のにこやかな笑顔がありました。こんな素敵なお菓子教室なら毎回通いたい。そんな風に思っていたスタート時の自分が甘いことに気づくのは粉をふるいに掛けバターを練る段階になってから。「このくらいでいいですよね?」とわたしが聞くたびに「まだまだ!もっと!」とゲキが飛ぶスパルタお菓子教室へと変貌していきました。泣く泣く作ったフルーツバターケーキですが、それはやはり美味しく、義母お気に入りのウェッジウッドのティーセットで入れてくれた紅茶との組み合わせはまた格別でした。ですが、穏やかだった義母が激変したスパルタ教室の後ですからなんとも複雑な心境で過ごしたのを覚えています。多分義母も同じ気持ちだったかもしれません。それ以来、一緒にお菓子を作ることもなくなり紅茶のお供はもっぱら件のリーフパイということになったのです。***そんな義母ですが、10年くらい前に思うように料理を作れなくなったと言って愛用していたティーセットを全て譲ってくれました。今は施設に入り緩やかで穏やかな日々を送っています。***今回の一枚は、義母のティーセットと銀座ウェストのリーフパイを小物として撮影しました。今ではすっかり飾るだけになってしまったティーセットを食器棚から引っ張り出して、記憶の中の情景を再現していたら、子供時代のあの山盛りの砂糖が入った甘い記憶と、義母とのほろ苦い思い出が蘇りなんだかこそばゆいような懐かしいような、でも、もう戻ってこないその日々を思い少し感傷的にな気分になりました。撮影を終えた後、久しぶりに買ってきたリーフパイとマグカップで入れた紅茶を飲みながらつくづく、そんなことを回想する年齢になってしまったんだなと苦笑いしています。スイtext & photo by sui

Sui's standards vol.3

牛歩のごとく最近、苦手だった場面づくりに挑戦しています。わたしの撮影スタイルのほとんどは偶然出会った素敵な一瞬を逃さずキャッチするというスナップショットが中心です。ワクワクするような一瞬に出会うために色々な場所に出向き、魅力的な人たちと出かけてはキラキラした一瞬を切り取ることが楽しみであり、ライフワークにもなっています。初個展の際にお披露目した作品のほとんどはそんなスナップショットの集大成と言えるものでした。あれから一年。半年は燃え尽き症候群で抜け殻になり。年が明けて少し気力が戻ったところでそろそろ何か撮影してみようと重い腰をあげました。ですが、あまりに久しぶりすぎて何をどう撮って良いのか迷っている間に気付けば新型ウィルスの自粛が重なり外出さえ難しく撮影どころではなくなってしまいました。そんな時、本屋でパラパラと立ち読みをしていた雑誌に広告写真のためにたった一人で絵作りをしているデザイナーの方のインタビュー記事が載っていました。誰も思いつかないような斬新なデザインでありながらCGを使わずひたすらアナログに撮影していく。時間も手間も掛かるけれど時代の数歩先を行くデザイン。愚直なまでの手作業での絵作り。そこに芸術的な感性としなやかさがあり最新の機材などを使わなくてもアイデアでいくらでも作品って作れるんだと目からウロコが落ちるようなそんな衝撃が走りました。たまたま手に取った雑誌だったにもかかわらず気付けばすっかりその作品に魅了され毎晩その雑誌を眺めてはあれやこれや妄想する日々となりました。***今回の写真は、そうだやろう!と思い立ってから初めて撮った一枚です。haiena監督の「LUGINSKY」の影響も重なりとにかくクールな大人の童話のような世界観を作りたいと仕事中も必死になって場面設定を考えました。モデルを男性に決めた時点で自分の中での難易度が急速に膨れ上がり一瞬不安に駆られましたが「やらない後悔よりやる後悔」と思い直して踏ん張りました。***根気も発想もなく苦手だった場面を作る作業。衣装の手配から場所移動モデルへの指示出しも含めて今までだったら人任せ、行き当たりばったりだったけれど徹底して作り上げれば作品として形になるんだという小さな自信につながりました。それ以来、不思議なことに次に撮影するならこんな風に撮ろうその時にはあの人に声を掛けてみようダメでもいいから動いてみようそんな活力が湧いてきました。***まだ活動は始めたばかり。精力的に動いてもまだ納得のいく一枚は撮れていません。それでも苦手を克服しながら地道に進むしかありません。千里の道も一歩から。雨垂れ石を穿つ。ゆっくりですが少しづつ進化し続けていこうそんな風に思っています。スイtext & photo by sui

Sui's standards vol.2

未完成の光景思い描いた光景が完成するまであとどれくらいかかるのでしょう。***当初はコテコテのイメージしかなかった鉄道写真です。「撮り鉄」という言葉もどこかおじさんチックでローカル線の撮影に行かない?と夫から誘われた時にはカフェでお茶するようなオシャレなお散歩写真に行きたいのにと心の底では思っていました。今だから呟ける話ですが。***夫の求める鉄道写真が絶景の中にポツンと走る列車であると知ったのは小湊鉄道という千葉のローカル線の撮影に行った時でした。入念に下調べをした夫が満を持して向かったのは満開の桜が咲く綺麗な駅舎、ではなく遠くに鎮座する山の上。雰囲気の良い駅舎で撮影したくてノロノロとふてくされて歩いているわたしに「絶対こっちの方が感動するから!」と半ば喧嘩ごしに連れて行かれた先に待っていたのは田んぼが広がる山あいの駅舎とくねくねと続く一本の線路そして、その上をコトトンコトトンと小さく音を鳴らして通過していくオモチャのような列車の走る光景でした。まるで一枚の風景画を見ているようなそんな牧歌的な景色に一瞬で鉄道写真のとりこになってしまいました。***北海道の鉄道写真に目覚めたのは廃線のニュースをちらほらと聞くようになってから。すっかり車社会になった現在鉄道の利用客も減ってあとは廃線を待つだけの地域も。これは今のうちに撮影に行かないと、と一昨年、2週間ほどの休みが取れたのを機に北海道を縦断する鉄旅を夫が企画しました。絶景を求めて北は宗谷本線、南は函館、最東端の根室本線まで地図とダイヤグラムを睨みつつひたすら時間も体力もかけて撮り続けた2週間。***それでも撮影できるチャンスは数時間に一度。思い描いた構図を色々考えていても実際列車が来ると動揺と感動がないまぜになってしまい手元が狂ってしまう素人感。天候の光の加減など運の要素も大きく納得できる写真はほとんどありません。冒頭の写真はそんなわたしの未完成の一枚。たまたまこの場所で撮影していたプロの写真家さんからレクチャーしていただき撮ったものです。ここにギラリと光る列車の車体が映り込めば完成ですが撮影のチャンスは2回のみ。慌てている間にその2回も過ぎ去って行きました。***後日、その時の写真家さんが提供したというポスターを拝見した時の驚き。やっぱり腕が良い人は違うねと半ば諦め気味に夫に話したらプロは同じ場所に何遍も何遍も通って地形と天候を把握してそこからさらに粘って粘ってやっと納得のいく光景を作り出すんだよ。数回通った程度の俺たちじゃ何も撮れなくて当たり前。と慰さめてくれました。確かにあの時夕暮れ迫る暗がりの中帰り道が分からなくなったら大変と慌てて帰り支度を始めるわたしたちに「僕は後もう一本撮ってから帰ります。」そう笑顔で話していたのを思い出しました。***わたしが完成した光景を撮れるのはいつになることやら。まずはまたあの場所を訪れることから始めましょうか。text & photo by sui

Sui's standards vol.1

格好つかない庭築40年を超える家に住んでいます。中古で購入したのが30代前半。その時すでに20年を過ぎていましたからあと数年で半世紀を迎えることになります。築年数だけ聞くと相当な古家と思われるでしょうが古びた雰囲気のない外観が素敵でお気に入りの我が家です。***日当たりと風通しもよく庭の樹木がよく育ちます。前の住人であるご夫婦が丁寧に庭を手入れをしてくれていたおかげでズボラなわたしたち夫婦が何もせずとも四季の花を愉しませてもらっています。春の満開の桜を皮切りにさくらんぼがなる頃には外壁沿いのバラが咲き乱れ初夏が訪れれば紫陽花が繁茂し夏はクレマチス、サルスベリと続きます。初秋の彼岸花の群生は圧巻です。この時期は庭のそこかしこが紅く染まりアゲハ蝶がひらひら舞い飛ぶ姿を見ては心が踊ります。冬が訪れても花の彩りは止まらず山茶花の花びらが散る頃には紅白の梅が可愛らしく咲き春の訪れを感じさせてくれます。***実は庭の手入れは大の苦手です。引越してから10年ほどは原型を留めていましたがいつの間にか雑草が生えても見て見ぬ振り枝が伸びても年一回伐採するだけここ数年は野生の自然へと変貌しています。それでも元気に花を咲かせてくれていた庭ですが。昨年、個展の前日。それまで元気だと思っていたバラが根ごと倒れてしまいました。個展の準備で心身共に疲れ切っていたわたしと同じくしてまるで力尽きたかのように倒れこむバラの蔓を見ていたら20年も一緒に暮らすと人も植物も一心同体になるんだなと悲しいよりも不思議とそんなことが頭をよぎりました。バラの根は思ったよりも太くしっかりしておりどうしても引き抜くことができなかったのでそのまま放置して朽ちるのを待つことにしました。あれから数ヶ月。梅がポツリポツリと咲き始める頃駐車場脇に寄せてあったバラの根元付近からしれっと新芽が出てきました。その後はグングン枝葉を伸ばしまるで何事もなかったかのようにゴールデンウィークの自粛期間中満開のバラを咲かせていました。根元のあちこちから伸びた枝はお世辞にも綺麗とはいえない不恰好さですがそれが逆に我が家の庭らしいなと時折眺めては微笑ましく思っています。スイtext & photo by sui

sui 情景のある仕草(9)

終わりの美学はらはらと舞い散る桜。川面に流れ着く花筏。満開の生き生きとした桜の花も美しいけれど栄華を過ぎて散っていくさまにも雅な美しさを感じます。日本人の根底に流れる「終わりの美学」は世界でも稀有な存在かもしれません。****先日、職場の先輩が退職されることになりました。彼女の補佐という形で10年近く働き後を引き継ぐ形でそのポストに就くことになったわたしですが事情があり退職までの期間が短くゆっくり引き継ぎをしてもらえる状態ではありませんでした。ある朝出勤してみると細かくまとめられた資料がそっとデスクの上に置かれていました。わたしが困らないように微に入り細に入り丁寧に。資料を読みながら彼女の仕事に対する意識の高さと責任感に去り際の美しさを感じました。****今回の写真は花が散り始めた少し寂しげな枝を愛でるようにそっと手を添えようとしている仕草に美しさを感じた一枚です。散りゆくものにも美しさを感じ愛でるそんな日本独特の感性は素敵だなと思います。****実はわたしには若い頃若気の至りで仕事を辞めた苦い過去があります。依頼された仕事が嫌で逃げ出したのです。わたしに期待して依頼した上司の顔に泥を塗り周囲に迷惑を掛けて。辞める最後に「あなたは社会人には向いてない」菩薩とまで言われた上司にそう言われた時の後悔と恥ずかしさたるや。数年後再就職した先ではあの時の後悔を教訓に気づけば10年。先輩のまとめた資料を見ながら去り際の大切さを実感しています。suiphoto & text by sui

sui 情景のある仕草 (8)

「単純」は最大の武器バレンタイデーの当日わたし宛てにチョコレートが届きました。届いたレターパックは大きさとは反比例してずしりと重くこれは!と期待しながら封を切るとはたして中にはジュエリーケースのような紙箱とティファニーブルーの紅茶バックが添えられていました。差出人ははちみつバード編集長 夏色インコさん。寄稿して下さる皆さまへ感謝を込めてというメッセージと共に「紅茶コーディネーターのすずまきさんオススメのチョコレートとティーバッグのセットです。」と綴られていました。今回の写真はその紙箱に入っていたチョコをセレクトし撮影したものです。ワクワクしながら紙箱を開けた瞬間の感動と編集長と云う立場でありながらも謙虚さと感謝を忘れない夏色インコさんらしい細やかさを表現してみました。****はちみつバードでフォトエッセイを書き始めて8ヶ月。仕事ではありませんし定期的に書かなくても誰に咎められることもありませんが気付けば皆勤賞です。ところが、1月にお休みをいただいたあと忙しさも相まって皆勤賞への熱がすっかり冷めてしまいました。書かなければと思えば思うほどちっとも書きたいことが浮かばず今月はお休みしようかな、、、と思ったころバレンタインのチョコというカンフル剤が投入されたのです。効果は絶大でした。初めてバレンタインのチョコをもらった中学生男子が嬉しさのあまり急に勉強を頑張ってしまうのと同じくらいの単純さでこの文章を書いています。実に単純です。そんな単純な思考回路がまさか自分を助けてくれるだなんて夢にも思いませんでしたが結果が全ての世界。「単純」であることも武器になるのかもしれない。そんなことを学んだ嬉しいバレンタインデーでした。photo & text by sui

sui 情景のある仕草 6

緑の指を持つ人よくある電車内の風景。写真ではなく想像してみて下さい。うつむきながら液晶画面を見つめている人90%その90%にわたしもしっかりカウントされています。隣の人に画面を覗かれることが嫌でブログやSNSを開くことはありませんが気になるニュースと情報収集にあけくれているせいか検索するのだけは得意になりました。何もないところからキーワードを考えタタッタッ!と指で検索画面をタップ。欲しい情報がヒットした時の爽快感はたまらなく。わたしだけの密かな愉しみです。****植物を育てるのが上手な人のことをグリーンサム(緑の親指)と呼ぶそうです。どんな瀕死の状態の植物でもグリーンサムに掛かればたちどころに元気になる。植物をすぐに枯らすか、放置してしまうわたしにはどうやったらそんな指を手に入れられるのかそれこそ、グリーンサムにわたしの親指を育てて欲しいくらいです。さて、植物と対話出来る人にとってその愉しみとは何でしょう?「種」というゼロの状態から植物を育て上げ青々と茂っていく過程を愉しんでいるのでしょうか。それ以外にも実を得るという満足感もあるかもしれません。今回の一枚は、そんなグリーンサムの能力を持つマダムが落ちていた草をあっという間にリースにして愉しんでいる様子を撮ったものです。何もない広い自然の中で撮影のためだけに立ち続けているのはつまらないものです。普通の人なら途中で飽きてしまっているかもしれません。当初は緊張していたものの気付けば道に落ちているどんぐりや枯れ枝を集めるのに夢中になりトンボの群れに童心に還ったようにはしゃぎそして、枯葉のリースを作った段階で満面の笑顔。そこがまるで自分の居場所なんだと思わせるくらいに。グリーンサムとはきっと人と植物の垣根を越えた妖精のような存在なのかもしれません。そして、冒頭の検索上手なわたしの指。グリーンサムと比べたら悲しいかな、スマホという機械に踊らされたピエロそんなところでしょうか。photo & text by sui

sui 情景のある仕草 5

笑い声と笑顔笑顔が素敵ですね。良く笑いますね。若い頃から褒められることといえばこの一言に尽きるといってもいいくらいです。箸が転がっても笑える年齢を過ぎた今でも同様なのでその褒め言葉はあながち嘘ではなさそうです。撮影の仕事をするようになって笑いの大切さを実感しています。カメラマンにとって会話は大事な仕事の一つです。モデルが緊張でぎこちなくなってしまっていたら本来の素敵な表情は撮れませんからただひたすらに色々な会話をします。ウィットに富んだ面白い話を提供するのは苦手ですが些細な話題でも「面白い」と感じられるので現場は笑い声と笑顔でとても明るい雰囲気となります。今回の一枚は、そんな撮影の時の一コマです。わたしも緊張していましたがお互いに大笑い出来た瞬間から撮れる写真の雰囲気も変化していった気がします。****夫は滅多なことでは大笑いしません。お笑い番組を見ていてニヤつくことはあっても大声で笑っている姿はほぼ見たことがありません。代わりにわたしが隣で大笑いしていますから家族としては凹凸で丁度良いのかもしれませんけれど。そんな、良く笑うわたしですが突然声を出せなくなりました。歌手や司会者が良くなるという喉の病気になってしまったのです。声を出すことは条件反射。それが出せないとなるともどかしいことこの上ありません。今までいかに声に助けられていたか失ってみてその存在の大きさに驚いています。仕事はもちろんご近所の方への朝の挨拶買い物する時に店員とするちょっとした会話声を出さずに過ごすことの大変さを痛感しています。その代わりマスク越しにことさら大げさに笑顔を作り表情で会話をするようになると機械的に買うだけだった近所のコンビニでも会話が噛み合わずに困っていた職場のバイトの子からも笑顔をもらうことが増えました。不便な生活ですがそれも悪くないな。今はそんな風に思っています。photo & text by sui

sui 情景のある仕草 4

情けない話昨年は不漁のため高くて買い控えていた秋刀魚。今年は大豊漁だそうです。ピンっと背筋の伸びた焼き秋刀魚が食卓に登場する機会もかなり増えるのではないでしょうか。少し焦げ加減の皮と油の乗ったぷっくりとしたハリのある身をたっぷりの大根おろしと柚子でいただく。想像しただけで喉が鳴ります。夫は秋刀魚をいつもうっとりするくらい綺麗に食べます。毎回気持ち良いくらいに身ぐるみはがされ骨と頭だけになった秋刀魚がお皿に残る様子に「食べるの上手いね」としみじみ呟くわたしに「あなたはほんと下手だよね」とポツリ。無残に食べ散らかした秋刀魚の残骸を眺めて苦虫を何度噛んだことか。今回の写真はそんな会話が繰り広げられたある日の食後に撮った一枚です。美しい箸使いは親の教養と躾の賜。姉は徹底的に親から注目されていましたからそれは美しい箸使いを身につけました。わたしはそんな姉の影に隠れてかなり自由にさせてもらっていました。それでも母親からは「恥を欠くのは自分だからね」と何度も言われて育ちはしましたけれど。大人になるとそれを指摘してくれる人は誰もいません。唯一指摘してくれたのは夫だけ。箸使いからはじまってナイフフォークの正しい使い方までまるでプリティーウーマンを地でいっているようなかなり情けない話ですけれど。それでも器用不器用が関係あるのか一向に身につかない美しい箸使い。今年の秋はきっとわたしを苦しめるそんな気がしてなりません。photo & text by sui

sui 情景のある仕草 3

仕草の後に残るもの特に厳しく育てられたわけではありませんがきちんとしていることに居心地の良さを感じます。整然としたものに出会えたときには背筋が伸びるようなきゅっと気持ちが引き締まるような気持ちの良い感情が湧き起こります。咳払いさえ躊躇してしまうくらいに静謐とした図書館で暗黙の内にうるさくしないように利用する人が配慮している、そんな共通する認識にも清々しさを感じます。わたしの中の「きちんと」は整理整頓とか掃除が行き届いた綺麗な環境とかそういったことではなくてその人に染みついた美しい習慣が見えた時そこに気持ちよさを感じるのだと思います。今回の写真はまさにわたしの中での気持ち良さが極まった一枚です。靴を脱いで家に入る。日本で生活している人なら誰でも自然に行う習慣ですが脱いだ靴を「きちんと」揃えて置くそんなちょっとした一手間を見かけると靴の持ち主の美しい習慣を垣間見た気がして何とも言えない喜びが込み上げてくるのです。郷土史博物館のレトロな窓のある薄暗い下駄箱見学者は数名いたと思います。わたしも含め半ば放り込むように靴を下駄箱にしまう中たまたま見かけたきちんと揃えられ向きを変えられた一足の靴。気持ちが凛とするそんな光景にこの瞬間を逃してはならないと慌ててシャッターを切ったのを覚えています。きちんとしている仕草の後を見かけるとその人の美しい習慣がまるで残り香のように漂います。そんな時には必ずホッとするような心地よさで頬が緩んでしまうのです。photo & text by sui